menu
close

なぜあなたは大麻を吸うのですか?
Smoker's Story Project

file #34
大麻に似たものをずっと探し求めていた

38歳女性 日本在住
公開日:2021年12月10日

私は3人姉妹の末っ子で、国立の小学校に通っていたし、とても賢かったので神童と呼ばれてた時期もあったんですよ。でも昔からはちゃめちゃなところはあったので、家族の中で問題児扱いされてましたね。

国立の中学校にそのまま進学したんですが、周りは変に擦れている子が多かったです。いじめは日常茶飯事で、ターゲットは次々と変わり、私がいじめられたこともありました。

友人はいたけれど上っ面だけで、いろんなグループの人たちと広く浅く付き合っていました。それもあって、当時から一人遊びが多い女の子だったと思います。

中学に入ってから成績がガタ落ちで、国立の高校にエスカレーター式で行けるはずが進学できず、公立に受かることさえも危うかったので、推薦でなんとか私立の高校に行くことにしました。

初めて大麻を吸ったのは中学を卒業する間際の15歳の時でした。地元にあった、レコードも売っている、アンダーグラウンドな人たちが通うような喫茶店によく通っていたんですが、そこで出会った当時大学生だった男性がインド旅行から帰ってきて。「ジャーン!一緒に吸おう!」と、インドから持ち帰ってきた大麻を出してくれました。

その頃私はドラッグに関する本とか、自殺マニュアルとか、そういった本を本屋さんで読み漁ってたんですよね。学校では教えてくれないハードコアな部分にものすごく興味があったんです。

そのインド帰りの彼は、私が大麻に興味を持っているということも察してくれて、「中学の卒業祝いだ!」と言ってくれて近所の川のほとりで一緒にジョイントを吸いました。

夜で、人気もなくて、川の水の流れが綺麗ですごくいい環境でした。「うわぁ」って感動したのよく覚えています。衝撃的でした。すごく気持ちよかったんです。

大麻の効果に感動したけれど、周りに大麻を持っている人が全然いなかったんです。インド帰りの彼と大麻を吸ったのち、高校生活の3年間は大麻にありつけない生活をしていました。

高校に入ってからは精神科で処方薬をもらうようになったんです。でも、その飲み方が尋常じゃなくて。

精神科を転々として、ものすごい量の処方薬をもらってました。いろんな本を読んでいたから、どういう風に言えば量を増やしてくれるとか頭に入ってたんですよね。大量の薬を処方してもらって、また別の精神科に行って大量に薬を処方してもらう、というのを繰り返していました。

一回に摂取する量もすごかったです。診察してもらって精神疾患を治そう、とかじゃなくて、とにかく処方薬を乱用して多幸感を得ようとしていました。

尋常じゃない薬の量に精神状態もおかしくなっていってたから、パトカーとかサイレンの音を聞くとパニックになったりしていました。

処方薬に合わせて、当時まだ手が届く範囲にあった脱法ドラッグも常用していました。この頃は脱法ドラッグ屋さんってたくさんあったんです。洋服屋さんでも普通に売っていたし。

脱法ドラッグは、自分が何をしているのか何を考えているのか分からなくなるんですよね。変な飛びしちゃって、自分が理解できないところに行っちゃってました。

今思うと、寂しかったんだなって思いますね。かわいそうにって。頑張ってたなぁって。

私は小学生の時から性に関して早熟で、すごく興味を持っていました。高校に入ってからはすぐ処女を捨てたかったから、テレクラや掲示板で遊ぶ人を探したり、体を売ったりしていました。その当時って、こういう言い方はいけないんですけど、援助交際みたいのは割と普通だったんですよね。

遊ぶ相手と会う時はお酒を飲んでたりしてたと思います、処方薬に脱法ドラッグも常用してたし、シラフではなかったと思いますね。めちゃくちゃでした、ホントに。

18歳で風俗で働きはじめました。ホストに通うためでしたね。当時同じ風俗で働いてたボーイさんが大麻を持っていたので、約3年ぶりに念願の大麻にありつけました。

大麻を吸うと心が落ち着いて、「そうだよコレコレ!」という感覚にならずにはいられませんでした。

20歳の時に風俗のお店を辞めたので、それからまたしばらく大麻を吸わない時期が続きました。その間も処方薬とお酒は続けてましたね。

その後はたまにデリヘルもやってたけど、バーで働き始めました。そのバーで出会ったお客さんと大麻の話になり、一緒に買いに行くことになったんですよ。

そして彼の家でくつろいでいたら、なんと警察が来て。彼に関する別件で家宅捜査が入ったのですが、なんで今なの?って思わずにはいられませんでした。まんまと私のバッグに入っていた大麻も見つかってしまったんですが、その彼が「それは俺のもので彼女に持っていて貰っていただけだ」といってくれたので、不起訴で済みました。

それから色々あって、関東で派遣の仕事をしたり、季節労働をしたりしてました。それが23歳の頃ですね。季節労働をしていたときは周りの環境もあって、大麻は日常的に吸っていました。

そこから地元に戻り、働いていた居酒屋で出会ったおじ様がものすごく可愛がってくれて。いい値段で大麻を譲ってくれてましたね。1g 3000円〜5000円くらいで。

その頃は処方薬は飲んでなかったです。やっぱり大麻に手が届く状態だったから精神的に安定してたんだと思います。

とは言いつつも、若い頃から躁鬱の気があるからその時もすごくアップダウンが激しかったです。まだ自分のことを理解していない感じですね。

テンションが高い時があればいきなりやる気を無くして落ち込むこともあるし、自分はそういうタイプの人間だと思い込んでたんですよね。落ち込んでも、またしばらく経てばいつもの明るい自分に戻るでしょう、みたいな。

でも、あからさまにやばいなと思ったのは3.11の大地震の時です。

震災後は一人暮らしのアパートで、電気もつけず、唯一の情報源であるテレビとTwitterだけを見る毎日で、家族にも助けを求めない日々でした。自分が生きているのか死んでいるのかも分からなくなりました。

この頃は躁鬱がひどくて、本当にわけが分からないことばかり言っていたと思います。家族には本当に迷惑をかけました。

そのあとはひきこもりがひどく半年くらい実家から出れず、躁鬱も悪化して、ひどい時には靴下さえも履けない、お風呂にも一人で入れない状態でした。精神病院に連れて行かれても、もう処方薬は散々だ、摂りたくない!と論破したりして、病院から追い返されていました。

その頃また脱法ドラッグに走ってしまったんです。周りの友人も、「合法だから」という理由でかなりハマってましたね。でも取り締まりが厳しくなっていってたのと、脱法ドラッグがどんどん悪いほうに進化していくのに嫌気がさして、友人一同で一斉に辞めました。だって、あれは体が喜ぶものじゃないってみんな体感しているから。

今は精神安定剤は服用していますが、大麻も手に入って日常的に嗜めるので、安定した日々を送っています。大麻を使用すると、細胞が喜んでるのがわかるんですよね。脱法ドラッグとは正反対。

大麻というものを学んでいくうちに人間の体にはカンナビノイド受容体があるって知って、「あ、だからか!」って納得しました。体が必要だから欲していたんだって思いましたね。

今思えば、15歳で初めて大麻を吸ってから、ずっと大麻に似たものを探し求めていたんだと思います。処方薬や脱法ドラッグ、お酒も散々やったけど、初めて吸った大麻が衝撃的すぎて、それに代わるものをずっと探していたんですよね。あの頃から大麻が身近にあれば、大麻一択だっただろうなと思います。

以前は、知識のない人が大麻を使用すると変な風になったりするから、大麻なんて合法化しない方がいいって思ってました。

けど今は、大麻で助かる人がいるなら、合法にすべきだって思います。タバコだっていろんな種類があって人によってどれが好き、嫌いってあるのに、なんで大麻だけ特別視されるんだろうって思いますね。

(担当: Eiju from Blue Dreamz)

※本プロジェクトは、以下の企業から支援を受け運営されています

あなたの物語も聞かせて下さい。

インタビューに応募する

Who We Are

協賛企業・団体

当プロジェクトは以下の企業・団体の支援により運営されています。

協賛企業・団体様を募集しています。

こちらよりご連絡下さい。

日本では「大麻取締法」により、大麻取扱者(都道府県知事によって研究および栽培の免許を受けた者)以外の大麻の所持、栽培、譲り受け、譲り渡し、研究は禁止されています。

当サイトは経験談を通して、大麻への理解を深めることを目的としており、大麻の使用を推奨したり、犯罪を扇動するものではありません。